顕正会が失ったもの

顕正会員は浅井先生から”国立戒壇建立こそ大聖人様唯一の御遺命”と教わっています。

その理想のもとに活動している宗教団体です。

でも、何かが違う気がする。

私は現役顕正会当時、違和感を覚えたことがある。

それがはっきり出たのが、小山での学会員とのやりとりである。

こちら側からは私と友人、当時の支隊長の3人。

学会側は3人でのファミレスでの対論。

しかし、私たちサイドは学会員の発言を遮るのが精一杯の状況。

”本当にこんなんでいいの?”

学会側を折伏しなければいけない私たちが、教学不足で折伏できない情けなさ。

顕正会では折伏について

折伏とは破邪屈伏の義で、相手の間違った思想・信仰を破折し、唯一の正法に帰依せしめる剛い弘教法である


(顕正会基礎教学書・118ページ)

と教えています。

ここで言う”唯一の正法”とは日蓮大聖人の仏法のことである。

ところが、日蓮正宗の”国立戒壇は本宗の教義ではない”という御指南に背いた顕正会には、それを学ぶすべがないのです。

対論の際、学会側には”御書”がありました。

御書とは、末法の下種仏法中における最高の文証のこと(顕正会折伏理論書291ページ)であることは知っていました。

こちら側は何もないのです。

この時思ったのです。

”一念信解”だけでは相手を折伏できないと。

顕正会は顕正会流広宣流布と引き換えに大聖人様の教義を失い、世間からの信頼を失った。

紛れもない事実です。

相手が信用しなければ、こちら側が大聖人の仏法を学ばなければ、折伏は成立しません。

雑言・強言・自賛気なる体、人目に見すべからず、浅ましきことなるべし


(顕正会基礎教学書・129ページ)

(教行証御書・御書1110ページ)

今、顕正会でこの意味を知る人はいるのでしょうか。

折伏の時は、言葉使いや態度に注意して臨まないと相手は信用してくれません。

一歩間違えれば、顕正会の信用を、さらには、日蓮大聖人様の信用を失うのです。

昨年10月の事件は、まさにこの教えに背くものです。

今、顕正会はこの”失った信頼”を取り戻すべく基礎教学書を普及させようとしています。

恐らくこの基礎教学書、一般の人には読めないと思いますよ。

だって、顕正会目線の書ですから。

 

 

 

 

 

 

いおなずんの秘密基地

日蓮正宗信徒いおなずんの日常や宗教に関する意見を書いていきます。 内容はほぼいおなずんの部屋と同じです。

0コメント

  • 1000 / 1000