妙信講機関紙”富士”に見る(2)
再び登場、妙信講機関紙”富士”
富士第十七号をご覧ください。
引用元、富士大石寺顕正会向上委員会2006年11月8日UP
この時は、「学ばずに使命は果たせるか」との意気込みで教学研鑽に励んでいたと書かれています。
「行学たへなば仏法あるべからず。我もいたし人をも教化候へ」(諸法実相抄・御書668ページ)
今の顕正会とは、真逆であります。
浅井昭衛さんは、このように指導しております。
この御名(南無妙法蓮華経)を、”お慕わしい”・”有難い”との恋慕渇仰の信心で唱え奉れば、「名は体に至る徳あり」(十章抄・御書466ページ)で、直ちに体である御本尊・日蓮大聖人に通じ、我ら凡夫が御本尊日蓮大聖人と一体になり、仏に成らせて頂けるのである
(基礎教学書・111ページ)
要するに、大聖人様に対する信心があれば行学は関係なく成仏は叶うというもの。
でもこれって、創価学会も正信会も日蓮正宗の人も当てはまりますよね。
批判する意味が無くなってしまいませんか?
浅井昭衛さんは”初志貫徹”の出来ない御方。
ですから、今と昔で真逆の指導となってしまいます。
このような御方を指導者としたら無間地獄行決定です。
顕正会の皆様、早く目を覚まして下さい。
富士第十七号をご覧ください。
引用元、富士大石寺顕正会向上委員会2006年11月8日UP
この時は、「学ばずに使命は果たせるか」との意気込みで教学研鑽に励んでいたと書かれています。
「行学たへなば仏法あるべからず。我もいたし人をも教化候へ」(諸法実相抄・御書668ページ)
今の顕正会とは、真逆であります。
浅井昭衛さんは、このように指導しております。
この御名(南無妙法蓮華経)を、”お慕わしい”・”有難い”との恋慕渇仰の信心で唱え奉れば、「名は体に至る徳あり」(十章抄・御書466ページ)で、直ちに体である御本尊・日蓮大聖人に通じ、我ら凡夫が御本尊日蓮大聖人と一体になり、仏に成らせて頂けるのである
(基礎教学書・111ページ)
要するに、大聖人様に対する信心があれば行学は関係なく成仏は叶うというもの。
でもこれって、創価学会も正信会も日蓮正宗の人も当てはまりますよね。
批判する意味が無くなってしまいませんか?
浅井昭衛さんは”初志貫徹”の出来ない御方。
ですから、今と昔で真逆の指導となってしまいます。
このような御方を指導者としたら無間地獄行決定です。
顕正会の皆様、早く目を覚まして下さい。
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