本当に浅井さんが御生骨を信じていたら
顕正会員に浸透しつつある御生骨の伝承。
この様なものでした。
この様なものでした。
其の頃、御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以て日目に授けて曰く、我に似り問答能くせよとて御肉付きの御歯と申すは是なり、此の御歯当山霊宝随一なり、広宣流布の日は光を放ちたもうべし
(日精上人・富士聞家中見聞(家中抄)聖典653ページ)
正本堂問題の最大の争点は、広宣流布以前において、事相の戒壇を建てることはいけないのではないですか、ということでしたね。
顕正会の基礎教学書を見ると、日達上人が昭和45年に宗門統率の為に言い放った四か条が載せてあります。
1、日蓮正宗を国教にすることはしない。
2、国立戒壇とはいわない、民衆立である。
3、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
4、今日はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も成り立つのである。
つまり、日達上人は”今日はすでに広宣流布である”と言い放ってしまったのです。
これは確かにこの発言については私も異議を唱えたくなるものがあります。
確かに浅井さんが諌暁するのも無理はないのである。
ところがである。
ここに、一つ新たな疑問が生まれたのである。
顕正会浅井さんの言い分では、昭和31年4月に御生骨の拝観が許されたとある。
つまり、その時には”御生骨の大事”についてわかっていたことになる。
ここから先は私の独断でシュミレーションしたものです。
題して、”日達上人への諌暁がこんなに簡単に出来たのに”です。
浅井さん:今日はすでに広宣流布とありましたが、御生骨は光を放っているのでしょうか。御生骨が光を放たない以上、広宣流布はあり得ないはずです。私が納得できますように御生骨が本当に光を放っているのか確認したいのであるがいかがでしょうか。
日達上人:そうだな、特別な機会を設けるとしよう。
浅井さん:有難うございます。
数日後・・・
日達上人:御生骨です。
浅井さん:光を放っていませんね。現時は広宣流布の時ではありませんね。学会に訂正してください。
日達上人:あなたの信心には正直参りました。実は池田さんを止めることが出来なくて困っていたのです、力になっていただきたい。ついては、宗門統率に協力していただきたい。
浅井さん:わかりました。それが御遺命守護につながるのであれば協力いたします。
この様になっていたかもしれません。
ひょっとしたら、謗法団体は生まれていなかったことになっていたかもしれないのです。
本当に信じていたのなら、”御生骨が光を放つ”という目に見える基準があるため、難しい法門はいらないのです。
私のこの話、信じる・信じないはあなたの自由です。
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