何のための仏道修行か

顕正会では、広宣流布の時に光るとされている”御生骨”(大聖人様の御歯)の話でもちきりのようです。

6月度総幹部会でも口にしていましたね。

「宗門僧侶なら皆一応は知っていることでしょう。しかし国立戒壇建立の御遺命を捨てて平然としている禿人(とくにん・破戒の僧を非難する言葉)たちにその重大さがわかるはずもない」

私はこの言葉に少し疑問がある。

本当に御生骨の大現証の重大さをわかる必要があるのか。

そもそも、私たちは何のために仏道修行(勤行・折伏)しているのでしょう。

そうですね。

自身の成仏のためです。

顕正会発行の基礎教学書には

折伏は人のため・国のためのように見えるが、実は自分自身の成仏の修行である。広宣流布以前においては、勤行とともに折伏の大精神を持ち続けなければいけない


(基礎教学書122ページ)

御生骨の伝承は確かに大事です。

だからといって、その大事が分からないからといって、直ちに批判するようではいけないと思います。

自分自身の成仏の修行(勤行・折伏)が出来ていれば御生骨の大事が分からずとも大聖人様は必ず成仏させて下さります。

必ずしも”御生骨の大事”を知る必要はないのです。

(でも、伝承を伝えるという意味においては知っておいた方がよいでしょう)

 

いおなずんの秘密基地

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