浅井顕正会が捨ててしまったもの

仏法を習ふ身には、必ず四恩を報ずべきに候か。


(四恩抄・御書267ページ)

大聖人様は、仏法を習うにあたっては四恩を報ずべきであるという。

では、四恩とは何か、御書を読み進めることにする。

四恩とは心地観経に云はく、一には一切衆生の恩、一切衆生なくば衆生無辺誓願度の願を発し難し。又悪人無くして菩薩に留難をなさずば、いかでか功徳をば増長せしめ候べき。二には父母の恩、六道に生を受くるに必ず父母あり。其の中には殺盗・悪律儀・謗法の家に生まれぬれば、我と其の科を犯さざれども其の業を成就す。然るに今生のの父母は我を生みて法華経を信ずる身となせり。梵天・帝釈・四天王・転輪聖王の家に生まれて、三界四天をゆずられて人天四衆に恭敬せられんよりも、恩重きは今の某が父母なるか。三には国主の恩、天の三光に身をあたため、地の五穀に神(たましい)を養ふこと、皆是国王の恩なり。其の上、今度法華経を信じ今度生死を離るべき国王に値い奉れり。争でか少分の怨(あだ)に依っておろかに思い奉るべきや。四には三宝の恩、釈迦如来無量効の間菩薩の行を立て給いし時、一切の福徳を集めて六十四分と成して、功徳を身に得給へり。其の一分をばわが身に用ひ給ふ。

(中略)十万世界の大地を紙と定めて注(しるし)を置くとも争でか仏の恩を報じ奉るべき。法の恩を申さば法は諸仏の師なり。諸仏の貴き事は法に依る。されば仏恩を報ぜんと思はん人は法の恩を報ずべし。次に僧の恩をいはば、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬えば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法、像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。ゆえに大集経に云はく、「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。


(同抄・御書267・268ページ)

顕正会は在家信者の集まり故に、三宝の恩、とりわけ僧の恩を忘れてしまっている。

浅井昭衛さんはお忘れだろうか。

顕正会が”広宣流布・国立戒壇建立”と言ってられるのも、僧侶の御指導あってこそではなかったのではないですか。

あなたは慢心のあまりそのことを忘れてしまったのではないのですか。

ゆえに、正本堂問題をきっかけとして、顕正会員から僧の恩を捨てさせている。

これは立派な謗法です。

 

 

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